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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

人の心は理解しづらいもの。安易に「わかります」とは言えない。

誰でもいいので、会話をしていたとしましょう。

その人が、過去の辛い話をし始めた時、それに対してどう言葉を返していいかわからないときってありませんか?

そして、そんな時、ついうっかりと口に出してしまうのが、「その気持ち、わかります」という言葉。

同情の意味で発した言葉なのかもしれませんが、本当に相手の気持ちがわかって言っているのでしょうか。なんとなく、その場の雰囲気が悪くなるのを避けるために無意識に発した言葉ではないでしょうか。

すぐに「わかる」という人を信用しない

テレビや雑誌など、様々なメディアで活躍されている阿川佐和子さんは、著書の「聞く力」の中で、ミッションスクールに通っていた時にN先生からお説教を受けたときのことを語っています。

「よく人は、『あなたの気持ちはよくわかる』と言いますが、他人の気持ちがそう簡単にわかるはずはない。だから人に対して、『わかる、わかる』と安易に言うものではありません。そして、『わかる、わかる』と言うような人のことを、たやすく信頼してはいけません」(188ページ)

この言葉を聞いたとき、阿川さんはびっくりしたそうです。

なぜなら、N先生は、普段、「あなたの隣人を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」と生徒に教えていたからです。

最初は、N先生の言葉を好意的に受け止めることができなかった阿川さんですが、時間が経つにつれて、その言葉が心に響いてきたとのこと。

他人は本人ではないので、完全に相手の気持ちを理解することは不可能です。そうなのだから、安易に「わかるわかる」と共感されたら、そう言われた相手はどう思うでしょうか?

もしも自分がそう言われたら、「きっと上辺だけで言ってるんだ」と思ってしまうでしょうね。自分と同じ体験をしたことがないのになぜわかるのかと気分を悪くするはずです。

経験の裏付けがあれば相手も受け入れる

でも、他人が本人と同じような体験をしていた場合、「わかります」という言葉は説得力を持ちます。経験していなければ発せられない言葉が混ざっていたり、経験したに違いない雰囲気が相手の表情やしぐさに現れていれば、その言葉に、さらに重みが加わるでしょう。

しかし、それとて、やはり他人の体験なので完全に相手の気持ちを察することはできないはず。

ここで大事なことは、相手の気持ちと同じになろうとしないことかもしれません。似通った自分の経験を探り出し、そのときの気持ちを重ねてみることは必要です。しかし、その経験とて、どれほど相手と似ているかは、誰にもわからないのです。(190ページ)

阿川さんは、「わかるわかる」は親切心から発せられた言葉だとしても、言い方を少し間違えたり、安易に使うと、時に傲慢と受け止められる恐れがあると述べています。


では、相手が辛かった体験を語りだしたとき、聞き手は、どう対応したら良いのでしょうか?

これは、非常に難しい問題です。

僕は、きっと完全に聞き手に回ると思いますね。

黙って聞いていると、聞いていないように受け止められる

しかし、完全に聞き手に回るのは、なかなか難しいです。

「黙って聞いていればいいだけなのに、何が難しいの?」

と思う方もいらっしゃるでしょうが、ずっと沈黙した相手に話し続けるのは結構苦痛なんですよね。なぜなら、相手が自分の話を聴いていないのではないかとか、自分の話がつまらないのだろうかとか、そもそも自分の話を聴きたくないのではないかと感じてしまうからです。

沈黙した相手に話し続けているとき、こう感じたことがあるのは、きっと僕だけではないはずです。


相手の話を聴くということは、ただ黙っていれば良いというものではありません。

自分は今、あなたの話を聴いていますよということが、相手に伝わらなければならないのです。そのために聴き手に必要となるのは、相づちを打つことです。

特に日本人にとって、「相づち」は欠かせないもののように思われます。
留守番電話が普及した当初、年配者の中に「どうもあの、留守番メッセージってのを入れるのが苦手でね」とおっしゃる方が、かなりいらっしゃいました。なるほど私とて、最初の頃は、ピーッという発信音のあとに、「さあ、喋りなさい。ほら、話しなさい」と言われても、無言の機械に向かって一人で喋り続けることが苦痛に思われたものです。(149ページ)

相手の反応を探れる日本語の便利さ

相づちがなくても、気にならないという方もいらっしゃるでしょうが、阿川さんは、相づちという行為が日本語の成り立ちと関係して、日本人にとって大切な意味を持っているのではないかと考えています。


例えば、上司と一緒に食事をしていたとしましょう。

自分は、出された料理が美味しくないなと思って、「この料理はおいし・・・・・」まで喋ったところで、上司の顔色を窺うと、とても美味しそうにしていました。すると、自分の主張を引っ込めて、「いですよね」と後から言い換えることが可能です。これは、文章の最後に肯定か否定かがわかる日本語特有のテクニックなんですね。

つまり、相手の反応を窺いながら、自分の言うことを決められるという、まことに便利な言語のつくりになっているというわけです。
こうした言語のつくりのせいか、日本人はとかく、自分の主張より、とりあえず相手やまわりの状況を見てから自分の意見を決める傾向があるように思われます。(152ページ)

このように相手の反応を確かめるという日本人の個性から、相づちがない相手に話をするのを苦手と感じてしまうのでしょう。

だから、話をしている人に気持ちよく続きを喋ってもらうためには、ちょうど良い間隔で相づちを打つのが、日本人の場合、効果的です。


きっと、誰にでも、話しやすい人と話しにくい人がいるはずです。両者の特徴を思い出してみると、話しにくい人は、自分が喋っているとき、無言の時が多くないですか?反対に話しやすい人は、「うんうん」とか「ほうほう」とか「それで」とか、相づちをうまく入れてくれていませんか?


聴き手に回るというのは、日本人の場合、沈黙することではなく、相手がリズムよく話せるように相づちを打つことなんですね。

そして、絶妙なタイミングで相づちを打てる人が、「聞き上手」と言われるのです。

聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)

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