ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

あきらめる心とホメオスタシス

どんな苦難が襲ってきても、あきらめなければ必ず成功する。

よく聞く言葉です。偉大な業績を残した多くの人々も、しばしば、あきらめずに続けてきたから結果が出たと述べていますから、その通りなのでしょう。

あきらめることに対して、多くの人があまり良い印象を抱いていません。最後まであきらめずに続けることを美徳とする反面、何かを途中であきらめることは悪いことだと考える人は多いはず。

最後まで生き残るのはあきらめない心を持つ人か

作家の五木寛之さんの著書「からだのサプリ」に興味深いことが書かれています。

あきらめずに闘い抜くぞと自分に言い聞かせることは、危機の中で人間が生き抜く知恵だと、これまで繰り返し言われてきました。しかし、五木さんは、あきらめることが本当に悪いことなのかを長年疑問に思っていました。

探検家のC.W.ニコルさんは、極地探検のようなときに最後までがんばれるのは、”礼儀正しい人”だと述べています。サバイバルの中では、屈強な体育会系の人よりも、きちんとヒゲを剃ったり、身だしなみを忘れない人のほうが最後まで粘ったのだそうです。

また、ナチスユダヤ人収容所に入れられた体験を書いたウィーンの精神科医フランクルは、収容中の苦しい環境でも”ユーモア”を忘れないように心掛け、他の収容者と顔を合わせた時には、ひとつずつジョークを言うようにしていたのだとか。他にも、夜にアコーディオンの音が聞こえてきた時に耳を澄ました人、死体を埋める強制労働のさなかに水たまりに映る夕陽を見て「ああ、レンブラントの絵のようだ」と感動した人もおり、収容所の過酷な生活を生き抜いたそうです。

もちろん絶対にあきらめないという強い遺志も大切でしょう。しかし、もっと大事なことは、どんなに絶望的な状況のなかでも、美しいものに心を引かれる豊かな感受性や、ユーモアを忘れないしなやかな心をもちつづけること。それが何よりも大きな力になるように思われて仕方がないのです。
(88ページ)

科学と征服欲

ルネッサンス以降、科学は急速に発展します。人類は様々な発明をし、難病を克服してきました。難しいことでも、あきらめずに研究し続けた結果、人類は昔よりも快適な暮らしを手に入れることができましたし、多くの怪我や病気も治せるようになりました。

そして、人類は思う。

「あきらめなければ必ず結果が出る。科学で征服できないことはない」


しかし、どんなに科学が進歩しても、人間は死から逃れられません。あきらめなければ必ず成功すると思い続けている人が、自分の死期が迫っていることを知った時、きっと絶望するでしょう。

自分たちの存在が有限で、無限の命などというものはないんだということを、ぼくらはこのへんではっきり知るべきでしょう。これがいい意味での「あきらめる」ということだと、ぼくは思います。
「あきらめる」というのは、じつは「あきらかに究める」ことだといわれています。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気をもって真実を見つめ、それを認めることが、本当の「あきらめる」ということであるらしい。
(91ページ)

浄土真宗の開祖親鸞は、比叡山で厳しい修行を積みましたが、自分の中の邪心や欲望を抑えることができませんでした。そこで彼は、「自力では悟れぬものと悟りたり」と言ったのだそうです。

この言葉を読むと、人間には必ず限界があることを知らされます。どんなに努力しても自力では克服できないことがあります。そんな時は、あきらめる心も必要でしょう。後は、他力本願、阿弥陀様にすがるだけです。

自力で何でもうまくやって来れた人ほど、他力を否定するのではないでしょうか、そして、その考えが科学万能主義を生み、地球上のあらゆるものを人類が征服できると考えてしまうのかもしれません。

エントロピーの法則にしたがいながらも恒常性を保つ

20世紀前半のアメリカの医学者キャノンは、ホメオスタシスという考え方を確立させました。

ホメオスタシスとは恒常性を維持すること、つまり、生命には一定の安定した状態を保とうとする働きが備わっているという考え方です。体が右に傾けば左に戻そうとするような働きがホメオスタシスです。それは、人間の心や感情にもあてはまります。

私たちは不安になったり、ショックを受けたり、悲しんだり、いらいらしたり、気持ちが不安定になるたびに、さまざまな慰め、逃避、希望、励ましなどによって、心の安定した状態を回復しようと無意識につとめます。気晴らし、とか、忘れようとつとめる、ことなどもそうです。もっとひろく言えば趣味だとか、芸能だとか、あるいは文化、芸術、そのすべてが安定した心の状態を求めるおのずからなる人間の欲求として創り出されたと言っていいのかもしれません。
(222~223ページ)

アウシュビッツ強制収容所に入れられて生還した人々は、張り詰めた生活の中でジョークを言ったり夕日の美しさに感動したりしながら、心の恒常性を維持してきたのでしょう。反対にサバイバルの中で脱落した人たちは、緊張感のある状況でも「あきらめないぞ」と自分に言い聞かせて常に心をたかぶらせていたから、心の恒常性が保てなくなったのかもしれません。

そのように考えると、あきらめる心を持つことも苦難を乗り切るためには大切だと思います。

ある時は「こんなことで負けないぞ」と思い、またある時は「できないことは仕方ない」と思う。

そのような気持ちの揺れがあるから、心の恒常性が維持されるのでしょう。


生命は必ず老い死に向かいます。それは、万物が無秩序化へと向かうエントロピーの法則にしたがうように。生命がエントロピーの法則に従うとしても、心身は恒常性を保とうとします。しかし、あきらめない心だけでは恒常性を保てません。時には、あきらめることを許す態度も恒常性を保つためには必要ではないでしょうか。

からだのサプリ (幻冬舎文庫)

からだのサプリ (幻冬舎文庫)