ウェブ1丁目図書館

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志を失った政治家とパソコンと睨めっこする記者

「今の政治家に欠けているものは何か。”志”である。」

そう語ったのは、2012年に亡くなった政治評論家の三宅久之さんです。

この言葉を聞いて、そう感じるという人は多いのではないでしょうか?一体、今の政治家は、何のために国会議員や市長になったのか、よくわからないことがありますよね。でも、こういう政治家が出てきたのは、僕たち国民の側に責任があるのかもしれません。国会議員や市長を選ぶのは、僕たちなのですから。

「風」が吹けば誰でも選挙に当選してしまう

三宅さんは、著書の「書けなかった特ダネ」の中で、政治家に対して以下のように述べています。

政治家を志す以上、この国をどうしたいのか、どういう社会を作りたいのか、正義とは何か、さらにいえば「自分の考える正義とは何なのか」を国民に問わなければなるまい。(206ページ)

政治家が、国民に「自分の考える正義」を問う場は選挙です。

でも、最近の選挙は、そのようになっていないように思います。全く政治活動をしていない人が、どこかの党に名前を貸したら当選してしまったなんてこともありましたよね。これは、比例代表制という選挙制度に問題があるのですが、それだけが問題とは言えません。

むしろ、「自分の考える正義」を国民に訴えている政治家が少なくなっていることの方が、そういった問題を造りだしている原因なのではないでしょうか?

特に最近では、どこからともなく「風」が吹いてくると、特定の党に票が集中する傾向があります。そして、その風に乗ってしまえば、後は凧が空高く舞上がっていくように新人でも楽々当選してしまいます。

こういった現象が起こるのは、比例代表制だけでなく、一つの選挙区から一人しか通常当選しない小選挙区制にも問題があります。

十数年前、政治改革の名の下に小選挙区制が導入された。これによって確かに政治にカネはかからなくなり、自民党でいえば派閥の形骸化に有効だったが、同時に政治家の質が小粒になり、かつ劣化したことは否めない。”風”が吹けば、政治家の使命感について考えたこともない者が、一過性にせよ怒涛の如く国会に進出、議席を占める。選挙制度についても考え直す時期に来ているように思う。(206ページ)

志を持っているベテラン政治家であっても、一度、変なところで風が吹けば落選してしまうというのが小選挙区制の恐ろしいところです。どんなに選挙で接戦を演じても、得票数が2番目なら落選してしまうのですから、やはり、小選挙区制については見直す必要があるのかもしれません。

今にして思えば、以前の中選挙区の方が、国会議員の偏りが少なくバランスがとれていて良かったような気がします。

政治家の顔を見ない記者

三宅さんは、政治家だけでなく、記者にも苦言を呈しています。

三宅さんによると、最近の記者は、記者会見場で会見者の顔を見ずにパソコンに向かってキーを押し続けているとのこと。

公明党幹事長代理、高木陽介毎日新聞社会部出身で、筆者の後輩にあたるが、高木はこういう。
「記者会見は会見している政治家が、質問に誠実に答えているか、そうでないか。顔色も見ないで判断できますかねぇ。現役の記者諸君にそういうと、”デスクが早く原稿を上げろ”というので仕方がない、というんです」
質問される側の政治家もそういうのである。記者は政治家とやり合う中で大きく育つ。部長、デスクにもご一考願いたいと思う。(207ページ)

東日本大震災の時、福島原発の事故内容について、国が発表した内容しかメディアは報じていないという批判がありました。これなんかも、記者が会見者の顔を見ずパソコンと睨めっこばかりしているから起こるのかもしれません。

でも、記者がこういう仕事をするのは、テレビの視聴者や新聞の読者が、そういった記者の記事にしか興味を持たなくなったからなのかもしれません。テレビのニュースを見ていても、スタジオで自説を主張するコメンテーターばかりが目立ち、記者が現地で集めてきた情報を放送する機会が少ないように思います。

現地で泥臭く集めてきた情報に見向きもしなくなった視聴者や読者が多くなったことが、パソコンと睨めっこしている記者の記事ばかりが目立つようになっている原因なのではないでしょうか。

志を持っていた政治家ハマコー

「政界の暴れん坊」と呼ばれていたハマコーこと浜田幸一さんは、政界を引退した後、数多くのテレビ番組に出演し、大きな荒々しい声で自説を展開していました。

視聴者の中には、不快感を覚えた人も多かったでしょうが、僕は、割とハマコーさんが好きでしたね。発言内容に賛否はあるでしょうが、ハマコーさんを見ていると、志を持って政治家として活動していたんだなと思いました。


三宅さんが、ある時、岸信介さんの自宅に誘われて遊びに行ったところ、岸さんはハマコーさんについてこう語ったそうです。

「この間ハマコー君が用があるといって御殿場(の自宅)に来たんだ。用事をしていたのでしばらく待ってもらった。三0分ぐらいして応接間にいったら、ハマコー君、ソファにも座らず直立不動の姿勢で待っているんだな。座っていたらよかったのに、というと、『私ごとき者が岸先生のご許可なくして座ることはできません』というんだ。君らはハマコーはヤクザとかいうが、今時の若い者には珍しく礼儀正しい青年だよ」(176ページ)

この話を聞くと、ハマコーさんは決して暴れん坊ではないと思います。メディアで見せた荒々しい表情というのは、ハマコーさんの志の表れだったのではないでしょうか。


作家の池波正太郎さんは、小説「西郷隆盛」の中で、西郷隆盛大久保利通以後、真の政治家がいないといったことを語っています。この言葉は、三宅さんが言う「自分の考える正義」を持った政治家がいないということと共通していると思います。

こういった政治家が現れないのは、風が吹いた方に票を入れる国民と政治家の顔を見ない記者にも責任があるのかもしれません。