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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

増加した農耕民族が戦争を引き起こす。マオリ族によるチャタム諸島侵略は慣習によるもの。

人間を生活様式から農耕民族と狩猟採集民族に分類することがあります。

農耕民族は農業を中心とした生活を営み、対する狩猟採集民族は動物を狩ったり魚を捕えたりすることを中心とした生活を営みます。前者は創造的であり後者は破壊的であることから、農耕民族よりも狩猟採集民族の方が荒々しく好戦的な印象を持っている人が多いことでしょう。

しかし、人類史を見ていくと、農耕民族の方が好戦的で狩猟採集民族に戦争を仕掛けていったことの方が多く、僕たちが想像していることと真逆の結果となっているのです。

マオリ族に滅ぼされたモリオリ族

ジャレド・ダイアモンドの著作「銃・病原菌・鉄」の上巻にこれに関して興味深いことが述べられています。

1835年にニュージーランドの東800キロにあるチャタム諸島にマオリ族900人が突然現れました。彼らは銃やこん棒で武装しており、昔からチャタム諸島に住むモリオリ族を襲撃したのです。数の上ではモリオリ族が勝っていたのですが、最終的にマオリ族によって滅ぼされてしまいました。

彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。
しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。
(95ページ)

マオリ族は、モリオリ族を男女関係なく羊のように殺したのです。

現代の日本人の感覚からすると、マオリ族の行為は侵略であり許しがたいことです。しかし、当時のマオリ族は現代の日本人のような感覚は持っていませんでした。彼らは、モリオリ族を皆殺しにしたことについて、ただ慣習に従って行動したまでであると述べたのです。

マオリ族とモリオリ族は、もともと同じ祖先から枝分かれしたポリネシア人だったのですから、同じ民族が無抵抗な人々を虐殺したと言えます。

環境が2通りの生活習慣を作り出した

マオリ族は集約型の農耕民であったのに対してモリオリ族は狩猟採集民でした。同じ民族でありながら、両者は別々の生活習慣を選んだのはどうしてなのでしょうか?

一言でいうと、それは環境の違いです。

チャタム諸島に住むようになったモリオリ族は、豊かな自然に恵まれ、アザラシ、魚介類、営巣中の海鳥などを高度な技術を必要とせず、手づかみやこん棒で捕えることができました。ただ、チャタム諸島にはせいぜい2,000人程度の狩猟採集民しか暮らすことができませんでした。だから、彼らは、自然から授かる食糧が枯渇しないように一部の男子を幼児期に去勢したり、人口過剰から起こり得るいさかいを減らすために戦いを放棄します。

それによりモリオリ族は、強力な組織力にかける非好戦的な少数民族となったのです。


一方のマオリ族は、ニュージーランド北島の温暖な気候の中で農耕を始めます。彼らは局地的に人口密度を高めるかたちで増えていき、時には近隣の部族とも衝突しながら10万人にまで人口が増えました。彼らは組織的に生活をするようになり、平時は農耕に従事する兵士たちを養い、農耕器具だけでなく様々な武器や工芸品を発達させていきます。

このように人口が増え続けたマオリ族にとって食糧生産は重要だったでしょう。今住んでいる土地で農業を継続していても、やがて増え続ける人口を養えるだけの作物を収穫できなくなるはずです。そんな時にチャタム諸島のことを知った彼らは、すぐに武器を持ってモリオリ族を襲撃したのです。

「魚介類が豊富で、湖にはウナギが群がっていて、カラカの実が鈴なりの島・・・・・しかも大勢いる島民は戦うことを知らず、武器を持っていない」という知らせを、ニュージーランドにむかう途中でチャタム諸島に立ち寄ったオーストラリアのアザラシ漁の舟がもたらし、九00人のマオリ族がチャタム諸島へむかって舟を出したのである。モリオリ族とマオリ族とが衝突にいたる過程は、短い期間であっても、環境が経済や技術、社会構成、そして戦闘技術に影響をおよぼしうることを如実に物語っている。
(102ページ)

環境に従うか環境を変えるか

ジャレド・ダイアモンドは、ポリネシア社会の多様性に貢献しているのは、気候、地質、海洋資源、面積、地形、隔絶度の6種類の環境要因としています。

こういった環境要因が、人々を農耕民族とするか狩猟採集民族にするかを決めるのでしょう。

農業に適した環境で生活する人々は、様々な作物を育て収穫し食べます。その食生活は狩猟採集と比較すると安定的ですから、飢え死にする確率が低くなるでしょう。そうすると、農耕民族の人口は増えていくはずです。増えた人口を飢え死にさせないためには、さらに土地を開墾し農作物を収穫する必要があります。そして、また人口が増え、今までよりも開墾に力を入れる必要があります。

農耕民族は、最初は農業に適した環境の中で農作物を育ててきたことでしょう。しかし、増え続ける人口を餓死させないためにやがて自然に与えられた環境だけでは間に合わなくなり、環境を破壊してでも農業を行うようになったはずです。そして、自分たちが住んでいる地域の土地だけでは一族を食わしていけなくなった時、他の地域へと進出し、そこに住む人々から土地を奪い取るのです。

マオリ族が、モリオリ族を根絶やしにした時、自分たちは慣習に従ったまでだと言ったのは、こういうことが理由なのでしょう。


一方、狩猟採集民になることを選んだモリオリ族は、自分たちが環境に適応することを考えます。彼らは、人口が増え続けると、どんなに自然が豊かであっても、やがてその恵みが枯渇してしまうことをわかっていました。だから、モリオリ族は人口を一定以上に増やさない努力をし、いつまでも安定した生活が続くように戦闘を避け、もめごとは話し合いで解決する伝統を築いたのではないでしょうか。

ポリネシアは、人間社会が環境によって多様化するという格好の例をあたえてくれたが、ここからいえるのは、ポリネシアの社会は環境のちがいによって変化したのだから、環境による多様化は起こりうる、ということだけである。
(121ページ)

西洋諸国の植民地政策に大きく貢献したのは病原菌

「銃・病原菌・鉄」では、人類がどのようにして全世界に広がっていったのかについての考察が述べられています。

西洋諸国の植民地政策は、高度に発達した文明が、長い年月変化のなかった文明を駆逐して自らの支配下に置いたと思われがちです。イギリスにしろ、スペインにしろ、ポルトガルにしろ、銃を持った兵士たちが大きな船に乗ってアメリカ大陸やアフリカ大陸に攻めていき、槍やこん棒を振り回すだけの原住民に銃を突き付けて従わせ植民地化したのだと。

ところが、西洋諸国の植民地政策を成功させたのは、高度に発達した文明ではなく、病原菌の力によるところが大きいのです。

西洋人は家畜を飼う生活をすることによって、動物たちがもたらす様々な感染症にかかります。天然痘やペストなんかが代表例ですね。こういった伝染病によって西洋諸国では多くの死者が出ましたが、一度感染して生き残った人々は抗体ができるので、再び感染しても病気を発症することはありません。


植民地化するためにアメリカ大陸に渡ったヨーロッパ人の中には、病原菌の保菌者が何人もいました。こういった保菌者がアメリカ大陸の原住民と接触すると、瞬く間に伝染病が広がり始めます。原住民たちは、バタバタと感染症で倒れていきますが、侵略者たちは病気にかかることはありません。

それらの病原菌に初めてさらされたこれらの人びとの累積死亡率は、五0パーセントから一00パーセントにのぼっている。たとえば、一四九二年にコロンブスがやってきたときにおそよ八00万人だった(大西洋の西インド諸島中第二の大きな島である)イスパニョーラ島(ハイチとドミニカ)の先住民の数は、一五三五年にはゼロになっている。
(193ページ)

人類が世界中で戦争を起こしてきた大きな原因の一つが、増え続けた農耕民族が生き残るための侵略だったのです。

そして、農耕民族が狩猟採集民族を服従させるのに大きく貢献したのが病原菌だったんですね。