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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

明るく前向きな社会ほど自殺者数は増える

現代の日本では、約3万人の方が自殺で亡くなります。

普段、何げなく生活をしていますが、平和なはずの日本で、これだけの自殺者がいるのは、実は異常な社会に身を置いているのかもしれません。3年で10万人近くの方が自殺をするのです。

それは、東京大空襲での犠牲者と同じくらいの数なのですから、もはや、日本は戦時下にあると言ってもおかしくないでしょう。

太平洋戦争はバブルだった

作家の五木寛之さんは、著書の「生きるヒント4」で、昔の日本人はよく泣いたものだと述べています。これは、五木さんだけがおっしゃっていることではなく、民俗学の大家柳田國男さんも、大衆文学を多く書いてきた吉川英治さんも述べていることです。

ところが、最近の日本人は、男性も女性も、あまり泣かなくなっています。泣くことは恥ずかしいこと、もっと言えば悪いことのように言われます。

「メソメソするな」

子どもの頃、そのように両親や目上の人に怒られた経験は、誰にだってあるはずです。この言葉には、明らかに泣くことが悪いことだという意味が含まれています。

これはぼくの勝手な考えですが、時代がしゃかりきに突っ走っている時期には、涙とか、泣く、とかいう陰気な表現は、どうも世の中からは、嫌われ、拒絶される傾向があるんじゃないでしょうか。要するにメソメソするのはやめなさい、といわれる時代です。
昭和十六年に始まる太平洋戦争が、いわば日本の第一次バブル時代であったとするならば、戦後も四十年を経た一九八〇年代の半ばから九〇年代初めにかけての異常な経済成長期は、第二次バブル時代と呼んでいいと思います。
(73~74ページ)

第2次大戦中は、1億の国民全員が前に前に突き進まなければならない、弱音を吐くことは許さない、悲観論なんて口にする人は非国民だと言わんばかりの猪突猛進型社会でした。

しかし、そのような社会は敗戦によって終わったかに見えたのですが、高度成長期もバブル期も、日本人には常に前向きさが要求されてきました。そう、戦後も日本の社会は、前に前に突き進むことを美徳と考えてきたのです。

その意味では、太平洋戦争もバブル経済も、同一の性格を持った社会だったのではないでしょうか。

弱さの肯定

なぜ、毎年3万人もの人が自殺するのか。

それは、日本社会が戦時中以上に個人に強さを求めているからなのかもしれません。

誰にだって失敗はあります。その失敗を怒る職場の上司や先輩もいると思いますが、失敗した人にとって怒られることよりも辛いことがあるのではないでしょうか。

自殺に踏み切るきっかけにはいろんな問題があります。失恋とか、事業の失敗とか、家庭の不和とか、精神的な行き詰まりとか引き金になるのはさまざまですが、しかし失恋した人や、事業に失敗した人が必ずしも全員死を選ぶとは限りません。いや、むしろそうでない場合が多いはずです。
とすれば、決定的に死が目の前にあらわれてくるのは、もうこれ以上生きていけないと感じられたとき、これ以上がんばることができないと思われたとき、そしてもう生きるのに疲れてしまったと感じるときなのではないでしょうか。
(78ページ)

失敗は成功に近づいている証拠。

失敗してもいい。やめなければ必ず成功する。

失敗とは成功の通過点だ。

失敗は悪いことではない。諦めることがダメなんだ。


このような言葉を聞くことがあります。しかし、このような言葉を何度聞いても、失敗した本人は報われないのかもしれません。むしろ、これらの言葉を聞くたびに気持ちを奮い立たせて、前に前に突き進んでいった結果、いつの間にか断崖絶壁の前に立たされていて、吸い込まれるように海に身を投げてしまっているのではないでしょうか。

他人に強さを求める必要があるのか

いじめは、強い者が弱い者を攻撃することです。

いじめは良くない、弱い者いじめをするべきではない、それを誰しも当たり前だと思っているはずです。でも、そのように思っていても、心のどこかで、弱い人も強くならないといけないという感情はないでしょうか。


なぜ強くならないといけないのか?


別に弱くても構わないと思いませんか。でも、弱い人がたくさんいる社会は、国際競争力を失い、やがては国内経済が崩壊して、国民は生きていけなくなる、そういう気持ちがどこかにあるから、1億総弱虫社会が到来しては困ると思い込んでいるのかもしれません。

強い人間がいてもいいように、弱い人間がいてもいいはずです。明るいタイプの子供もいれば、暗く沈みがちな子供もいる。無鉄砲な子どもと臆病な子供とのあいだに、人間的な価値の差はありません。弱いということは、一面、優しいということでもあります。傷つきやすいということは、繊細な感覚の持ち主であるということです。ものごとには常にプラスとマイナスの両面があるのです。
笑いは高級だが、涙は卑俗で低級だ、というのは近代の迷信にすぎません。強者の論理で成り立ってきた近代社会だからこそ、弱さや涙を嫌ってきたのです。
(80~81ページ)

国際競争力を高めるためには、1億の国民全員が強くならなければならない、そのためには、年間3万人の犠牲者が出てもやむを得ない。

それは、戦争に勝つためには、3万人の捨て駒が必要だと言っているのと、同じではないでしょうか?


本当に住みやすい社会とは、経済成長を追い求める社会ではなく、弱さを認める社会なのかもしれません。強くなりたい人は強くなればいいでしょう。でも、弱い人を無理やり強くする必要はなく、むしろ、そういう人には泣くことを許してあげるべきかもしれません。

強い人だって、何度も失敗すれば心折れる時があります。

勝ち続けてきた人が、一度、負けを経験すれば大きなショックを受けるはずです。その時、強かった人の心が折れ、自殺へと追い込まれることもあるでしょう。きっと、言葉では表現できない悔しさがあったはずです。

言うに言えないことがある。言葉にした途端に嘘になってしまう感情もある。それを巧みな表現であれこれ説明すればするほどむなしくなってくる気持ちもある、新聞もテレビもさまざまなメディアから流れてくる言葉に耳をふさぎたくなる時もある。どんなに説明しても相手に言葉が伝わらない場合もある。
そんなとき、私たちは黙って涙を流すしかありません。
(82~83ページ)

新版生きるヒント4

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