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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

源義経が兄頼朝に負けたのは武士たちに利益を与えられなかったから

日本史の世界には、数々のスーパースターがいます。真田幸村坂本龍馬沖田総司など、今も人々に愛されている歴史上の人物がたくさんいます。

その中でも源義経はトップ3に入るのではないでしょうか?判官贔屓の判官は、義経後白河法皇から与えられた役職の検非違使(けびいし)のことです。判官贔屓という言葉が生まれたのは、義経が兄の頼朝によって罪人にされたことをかわいそうに思った人々が多かったことを想像させます。

スーパースター義経が頼朝と対立した時、彼のもとに馳せ参じた武士はたったの200人ほどでした。平家を倒した戦術の天才源義経になぜ当時の武士たちは味方しなかったのでしょうか?

武家政権確立を目指す頼朝

義経のもとに味方が集まらなかったのは、彼が武士たちに利益を与える力を持っていなかったことが理由です。これについては、井沢元彦さんの「逆説の日本史(5)中世動乱編」で興味深く解説されています。

義経の兄頼朝は、平治の乱平清盛に負けた後、命を助けられ鎌倉に流罪となりました。それが20年後に平家打倒のために起ち上がるのですから、人の人生は何が起こるかわかりませんね。

それはともかく、頼朝は罪人なので平家と戦うための兵力を全く持っていませんでした。それなのに彼が挙兵できたのは、北条時政などの関東の武士たちが彼をミコシとして担いだからです。落ちぶれたとは言え、頼朝は源氏の嫡男です。そのブランドは、打倒平家の頭にするには十分すぎるほど価値がありました。

しかし、頼朝にとっては、直属の兵力を持っていなかったのですから、関東の武士たちの頭とは言え、いつその地位が奪われるかわからない状況です。頼朝がいつまでも関東の武士たちの頭としていられるためには、彼らに何かしらのメリットを与えなければなりません。そのメリットが鎌倉幕府の設立なのです。

当時の武士たちは、土地を開墾し農作業を行っていましたが、土地の所有権は持っていませんでした。権利は朝廷にあったのです。だから、自分が耕した土地をいつ朝廷に奪われるかわからない状況にあり、その不安を常に抱いて生活していました。

そこで、頼朝というブランド力のある罪人を自分たちの頭として独立国を作ろうと考えたのです。つまり、頼朝はその「名誉理事長」として担ぎ上げられただけの極めて不安定な立場にあったのです。

その地位は極めて不安定なものである。その地位を強化するためには「武士のための」政策を次々に打ち出していくしかない。「関東独立国」といったが、この時点で頼朝が所持している「独立国」の必須条件といえば「軍事力」しかない。
「徴税権」もないし「人事権(賞罰権)」もない。ただ軍事力があるから中央の干渉を何とか排除できるのだ。「関東独立国」つまり「鎌倉幕府」を確固たるものにするには、こうした独立国の「要件」をひとつひとつ朝廷から獲得していく以外にない。
(129ページ)

頼朝が平家追討に起ち上がった時、関東の武士たちは、まだ非合法の集団でしかありませんでした。これを合法的な組織にするための独立戦争が実は源平合戦だったのです。

平家滅亡よりも三種の神器が重要だった

頼朝が仕掛けた独立戦争は、平家を滅ぼすことが主目的ではありません。それよりも、関東独立国の建国こそが鎌倉武士団にとっては重要なことなのです。

都を追われた平家は、三種の神器を持って西国に逃げました。この時の天皇は平家方の安徳天皇でしたが、後白河法皇後鳥羽天皇を即位させます。しかし、三種の神器安徳天皇のもとにあるので、後白河法皇はなんとしても、それを取り返して後鳥羽天皇に渡したかったのです。


頼朝は、言うなれば三種の神器の奪還を朝廷から命じられていたのです。そして、その実行のために義経を戦場に送ったのです。

戦術の天才であった義経は、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と連戦連勝。あっという間に平家を滅ぼしました。しかし、三種の神器のうち神剣だけは取り戻すことができませんでした。

それでも、宿敵平家を滅ぼしたのだから兄は喜んでくれるだろうと義経は思ったのですが、その意に反して頼朝はカンカンに怒ります。なぜなら、頼朝は三種の神器を材料に後白河法皇と関東独立国の建国のための交渉をするつもりだったからです。

もちろん後白河法皇は「関東独立国」など認めるつもりはない。しかし、頼朝の手に神器が入れば、頼朝はこれを取引材料にかなりの譲歩を勝ち取ることができると考えた。いわば人質である。
だからこそ、義経には「絶対に神器を取り戻して来い」と命令を下したのだ。「絶対に」ということは、つまり「平家を取り逃してもいいから」ということだ。
(130ページ)

この頼朝の意図を義経は全く理解できていなかったのです。

人気があるだけでは人はついてこない

先にも述べましたが、義経は日本史上トップ3に入るほどのスーパースターです。しかも、その当時から大変人気がありました。

その義経が、後白河法皇から頼朝追討の命を受けて起ち上がった時、彼に従う武士はわずかに200人程度しかいませんでした。

義経に味方する武士が少なかったのは、当然と言えば当然です。当時の武士たちが頼朝に味方をしたのは、土地所有権を得るためです。土地所有権に関して何らの権利も持たない義経に味方したところで、武士たちにとって何の利点もありません。それよりも、頼朝を自分たちの代表として朝廷と土地所有権について交渉させた方が、後々大きなメリットがあることは明白です。

どんなに人気があっても、他人に何かを与えることができなければ、人はついてこないのです。


義経に武士が集まらなかったことから、後白河法皇は、彼を罪人にして頼朝に捕えるように命じます。ここから義経の長い逃避行が始まり、2年かけて奥州藤原氏のもとにたどり着きます。

奥州藤原氏義経の後ろ盾になったことで頼朝は苦心するかに思えますが、そのようなことはありませんでした。むしろ、将来的には奥州藤原氏を滅ぼそうと考えていたので、罪人の義経がそこに転がり込んだのは、攻撃の口実になります。

結局、義経藤原氏の裏切りにあってこの世を去り、藤原氏も頼朝に攻められて滅亡しました。


現在でも、人気のある有名人が選挙に出馬し当選することがあります。しかし、彼らの多くはそれほど国民の期待に応えられていないように感じます。それは、政治の大きな流れと多くの国民が何を求めているのかを理解できなかったからなのかもしれません。


人間は、最後は自分に利益を与えてくれる人に着いていく。


鎌倉幕府の成立は、そのことを現代人に教えてくれているのではないでしょうか?

逆説の日本史〈2〉古代怨霊編 (小学館文庫)

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