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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

東条英機が靖国神社に祀られているのは日本古来からの御霊信仰の表れ

日本史

靖国神社A級戦犯が祀られていることが何かと問題になります。特に日本の総理大臣が靖国神社に参拝すると、中国や韓国が、A級戦犯を合祀している靖国神社に総理大臣が参拝するのは、けしからんと抗議をしてきますね。

日本人の中でも、靖国参拝賛成派と反対派がいて、いろいろともめることがあります。

そもそも靖国神社は、日本のために命を落とした英霊たちの鎮魂のために創建されたということになっています。でも、僕は、この解釈は不十分だと思っています。英霊たちの鎮魂というのなら、特別に神社を建てなくても、親族がお墓参りをすれば十分なはず。

なのに靖国神社を創建して、わざわざ英霊たちを祀るのは、日本古来から日本人の遺伝子にしみこんでいる御霊信仰(ごりょうしんこう)があるからではないでしょうか。

御霊信仰とは

御霊信仰を考えるにあたっては、それが顕著にみられるようになった平安時代まで遡る必要があります。

御霊信仰は、非業の死を遂げた人々が怨霊となって祟りをなすから、これを鎮めるために神社を創建して祀る必要があるという信仰です。通説では、平安時代から始まったとされていますが、井沢元彦さんは、それ以前から日本では怨霊の信仰があったと主張しています。

特に井沢さんは、日本史を考える際には、呪術的宗教的側面を重視しなければ、真実はわからないと述べています。僕もこの考え方には賛成です。でも、多くの歴史学者は史料に偏った歴史研究をしており、これが現代の歴史学の欠陥だと井沢さんは考えています。

大仏の効果がなかったことが長岡京遷都の理由

さて、桓武天皇平城京を捨てて長岡京、次いで平安京に遷都したのは、井沢さんによると、怨霊が原因だということです。一般的に平城京から長岡京への遷都は、仏教勢力の影響から逃れるためだといわれています。もちろん、こういった背景もあるでしょう。

井沢さんも、著書の「逆説の日本史3」で、そのことを述べています。加えて、井沢さんは、桓武天皇天智天皇系であり、それ以前の称徳天皇天武天皇系だったことから、皇統が代わったことも遷都の理由としています。

しかし、皇統が代わったからといって、必ず都を遷すかというとそういうことはありません。遷都には莫大な費用がかかることがその理由です。当然、平城京から長岡京へ遷都するときも莫大な費用がかかったはずです。それにもかかわらず、桓武天皇が遷都を行ったのは、平城京を都として、天皇が住み続けることに不都合があったからです。

平城京があった奈良には、東大寺の大仏があります。この大仏を造ったのは聖武天皇です。聖武天皇が大仏を造営したのは、凶作、兵乱、疫病から国家を護るという鎮護国家が目的でした。だから大仏を建立し、仏の力に頼って何とかしようとしたわけです。加えて、聖武天皇には後継ぎの男子が早逝するという不幸が続き、また、聖武天皇自身も病気がちだったという背景があります。

結局、仏の力に頼ったのに聖武天皇の家系はその娘の称徳天皇の代で断絶してしまい、皇統は天武系から天智系の光仁天皇へ移り、その子の桓武天皇へと引き継がれていきました。

桓武天皇平城京を捨てて長岡京への遷都を決めたのは、大仏の力は大した効果がないと考えたからだと、井沢さんは述べています。それどころか天武系の皇統が断絶してしまったことからすると、むしろ、縁起の良くない場所だと考えることができるので、すぐに平城京を捨てて新たな地に都を遷した方が良いだろうと思ったはずです。

こうして桓武天皇は、長岡京遷都を決定したということです。

わずか10年で平安京に遷ったのは怨霊が原因

長岡京に遷都して10年後、今度は、平安京に都が遷ることになります。その理由は、早良親王(さわらしんのう)の怨霊から逃れるためです。これは、井沢さんだけでなく、多くの歴史研究家の方も指摘していることです。他にも洪水が度々起こったことなども遷都の理由とされていますが、井沢さんは、これも怨霊が原因だと述べています。

長岡京に遷都が決まって間もない時期に藤原種継が何者かに暗殺されます。種継は、長岡京遷都の長官を勤めていたので、これは重大事件です。藤原種継暗殺事件の犯人を探していると、どうやら桓武天皇の弟の早良親王が関わっているということがわかりました。

すぐに早良親王は捕えられ流罪が決定します。早良親王は自分は無実だということを食を断って訴えましたが、桓武天皇には聞き入れられず、餓死してしまいます。

この事件があってから、桓武天皇の身辺では、不幸が重なりました。母が亡くなったり皇后が亡くなったり、後継ぎの安殿親王(あてしんのう)が病気がちだったりと、桓武天皇を悩ませることが続いたのです。

そこで、桓武天皇は、自分の周りで起こる不幸の原因は何なのかを陰陽師に占わせることにします。すると、その原因は早良親王の祟りだということがわかったのです。しかし、なぜ早良親王桓武天皇を祟るのでしょうか?早良親王藤原種継暗殺事件にかかわっていたのなら、桓武天皇を祟るのは逆恨みでしかありませんし、桓武天皇もそのようなことはあるはずがないと思うはず。

でも、桓武天皇長岡京を捨てて平安京に遷ったのは、やはり早良親王が無実の罪で亡くなったことをわかっていたからであり、もっというと、桓武天皇早良親王を罪人にしたからだったのではないでしょうか。

だから、早良親王の怨霊が、洪水を起こしたり、皇后や母の命を奪ったに違いないと桓武天皇は思い、怨霊に祟られた長岡京からすぐにでも逃げ出さなければならないと考えたんだと井沢さんは主張しています。

怨霊から身を守るのに適していた平安京

長岡京の次の都に平安京が選ばれたのは、そこが怨霊から身を守るのに絶好の場所だったからです。平安京陰陽道でいうところの四神相応の地です。

四神相応の地とは、北を山、南を湖、東を川、西を街道に囲まれた場所のことで、縁起が良いとされています。これを平安京に当てはめると、北に船岡山、南に巨椋池(おぐらいけ)、東に鴨川、西に山陰道があります。

このような縁起の良い場所に逃げ込めば、さすがに早良親王の怨霊も近づくことはできないだろうと考えたわけですね。さらに早良親王には、祟道天皇という諡(おくりな)が贈られ、桓武天皇の死後には、京都に祟道神社が創建され早良親王が祀られました。これで、平安京早良親王の怨霊に悩まされることはないはずと当時の人々は安堵したのです。

なお、怨霊は祀られると御霊となり、今度は人々を守ってくれると考えられています。有名なところでは、菅原道真がいますね。道真は、藤原氏の謀略により大宰府に左遷させられ非業の死を遂げた後、怨霊となり都に様々な災いをもたらしましたが、北野天満宮に祀られた後は、天神として信仰されるようになり、現在では学問の神様として信仰されています。

無実を訴えた東条英機を祀らないと怨霊となって祟られる

御霊信仰の対象となるのは、高貴な人や偉大な人が非業の死を遂げた場合です。こういった人が無実の罪で亡くなると、その怨霊の力も凄まじいのでしょうね。

長くなりましたが、ここからが本題です。

靖国神社には、A級戦犯と呼ばれる戦争犯罪人とされている人の霊が祀られています。その代表が東条英機ですね。

東条英機東京裁判の時、自分は無罪だと主張し続けました。戦争を起こして、日本人300万人を死に追いやったのに無実を主張するなんてとんでもないと思うでしょうが、戦前の国際法に照らせば、東条英機は無罪です。

しかし、そんな主張を聞き入れていたのでは、誰を戦争犯罪人として罰し、責任をとらすことができるでしょうか。戦勝国の立場からは、とにかく敗戦国に戦争の責任をすべて負わすことが、自分たちの立場を守るためには重要なことです。そこで、思いついたのは、「平和に対する罪」です。戦前にはそのような罪はありませんでした。つまり、「平和に対する罪」は、A級戦犯に戦争の罪をかぶせるために後から作られたものなのです。

このような事後法で罰せられたA級戦犯のうち、東条英機など死刑になった人たちは、無念の思いを残して死んでいったはずです。すなわち、彼らは非業の死を遂げたのです。当然、怨霊となって後の世に害をなす可能性があります。しかも、東条英機は、総理大臣にもなった人物なので、偉大な人物ということができます。

偉大な人物が非業の死を遂げたら、その祟りは凄まじいものになるはず。

御霊信仰からすると、当然、東条英機の怨霊を鎮めるために神社に祀らなければなりません。そうしなければ、彼の死後に日本に大きな災厄が降りかかってくるからです。

もちろん、A級戦犯靖国神社に合祀せず、新しく神社を創建して、そこに祀るということも可能です。しかし、祀っただけで、誰もお参りしないのなら、A級戦犯の怨霊は鎮まらないでしょう。神社に祀ったからには、やはり、誰かが参拝する必要があります。一般人が参拝しても、A級戦犯の怨霊を鎮めて御霊にすることはできるのでしょうが、総理大臣や国会議員など、その国のかじ取りを担っている人が参拝する方が、鎮魂には効果的なのではないでしょうか。

科学が発達して、怨霊なんか存在しないと思う人が多いでしょうが、そういう人だって、元日に初詣に行ったりしますよね。その神社に祀られている神様の中には、非業の死を遂げた人たちも含まれているんですよ。例えば、縁結びの神様とされている大国主命(おおくにぬしのみこと)だって非業の死を遂げて、出雲大社に祀られ、その後、全国各地の縁結びの神社に分霊が祀られていることを忘れていはいけません。

現代人は、そんなことをまったく意識していませんが、知らず知らずの間に神社にお参りをしているのですから、やはり、日本人の遺伝子の中には御霊信仰があり、それが、脈々と後の世代に受け継がれているのではないでしょうか?

日本人が御霊信仰を意識していないのですから、中国の人や韓国の人が、御霊信仰に理解を示すということは難しいでしょうね。だから、今後も、日本の総理大臣が靖国神社に参拝したら必ず批判をしてくるに違いありません。そして、なぜ靖国神社に参拝するのかと、その時の総理大臣に質問しても、説得力のある答えが返ってくることはないのかもしれません。


最後に書いておきますが、A級戦犯とされる人たちが、全く責任がないという訳ではありません。勝てない戦争を起こし、我が国に多大な損害を与えた責任は問われなければなりません。でも、それと東京裁判の「平和に対する罪」とは別物です。東条英機をはじめとするA級戦犯に対する責任追及は、日本人によって行われなければならないということです。

逆説の日本史 (3) (小学館文庫)

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