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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

史料に偏った歴史学からの脱却

日本史

「逆説の日本史1古代黎明編」

この本の著者は、井沢元彦さん。タイトルに日本史と入っているので、この本は、日本の歴史について書かれたものです。でも、これまでの日本の歴史の本とは一味違います。

日本史の本と言えば、史料を検証して、そこに書かれている内容から歴史的事実を追求していくというのが一般的です。でも、井沢さんは、この史料至上主義が日本歴史学三大欠陥のひとつだと述べています。

 史料として残っているものだけが事実ではない

史料から歴史を読み解くことは、事実を確認するには有効な方法です。でも、史料だけでは、事実を見落とすることもあります。

この本の序論では、織田信長が築いた安土城について、なぜ、「安土」という地名を付けたのか、これまでの歴史学者の見解を紹介しています。多くの学者や作家は、安土は昔からあった地名だと述べているんですね。

この見解に井沢さんはいきなり噛みつきます。

織田信長はご存知の方も多いように新し物好き。その信長が初めて自分で城下町を造ったのに昔からあった地名をそのまま使うだろうか?歴史家も作家も信長の独創性を散々褒めちぎっておきながら、彼が初めて造った城下町を安土と名付けた理由を昔からあった地名だと言うのか?

これは矛盾しているのではないかと言うのです。ここまで読んだところで、僕の心は井沢元彦さんに釘づけ。

さらに読み進めます。

これまでの歴史学者の考え方は、史料がないことは事実もないとするものでした。だから、信長が安土と名付けたという史料が残っていないから、安土は昔からあった地名だと結論づけたのだと述べています。

一見すると、それのどこがおかしいのかと思ってしまいますが、そもそも特別なことがなければ記録に残さないのではないかというのが井沢さんの主張です。

では、安土という地名が昔からあった地名ではないとすると、信長は、なぜ安土と名付けたのでしょうか?これについて井沢さんは、「平安楽土」から採ったものだと主張します。

戦国時代、「平安楽土」という言葉は誰もが知っている言葉でした。そして、安土の隣は京都、つまり、平安京です。そう、信長は天皇が築いた都の平安京に対抗して武士の都を安土という名にしたのだというのです。

安土は、「平安楽土」という誰もが知っている言葉から名付けた地名だから、特別な記録に残さなかったというのが井沢さんの考え方です。

そう言われると確かにその通りですよね。

ご飯を食べるときにどうやって噛むのかをわざわざ記録に残しませんし、普段、音楽を聴くときに耳をどの方向に向けて聴くかなんてことも記録には残しませんよね。記録にないから事実もないというのでは、昔の人は食べ物を噛まなかったことになってしまいます。

学会の権威と呪術的側面の無視

日本歴史学の三大欠陥の2つ目は、学会の権威を重視しすぎることだと主張します。これは、歴史学だけでなく学会と名が付く組織ではよく起こることです。

学会では、時として論文の盗作ということが起こったりします。もしも、その学会で権威のある人が論文を盗作したことに下っ端の人が気付いたとしましょう。でも、その人は権威に負けて、盗作したことを口に出せないことがあります。医学の世界でもそういったことがあり、権威ある人が偽薬を作り、それを国も認可しましたが、後に偽薬と分かっても認可を取り消さなかったことが紹介されています。

最終的にその偽薬は、権威あるその先生がなくなった後に認可を取り消したということです。

そして、3つめの欠陥が呪術的側面の無視ないし軽視という点です。

歴史は日本史だけでなく世界史も呪術的側面や宗教的側面があります。昔は神様や仏様の存在が絶対だったことを考えれば当然のことです。でも、歴史の研究になると、そういった側面が無視される傾向にあり、それが問題だと井沢さんは主張しているんですね。

西洋の歴史がキリスト教の影響を受けているように日本の歴史も宗教の影響を受けています。その宗教は怨霊信仰です。昔の日本人は怨霊を信じていました。現在も信じている人はいると思いますが、昔はほとんどの人が信じていたのです。その怨霊信仰を無視しては歴史の事実は見えてこないというのが井沢さんの3つ目の主張です。しかも、井沢さんは、日本の歴史を研究する上で、この呪術的側面が特に重要だと述べています。

神話の時代や卑弥呼の時代を井沢史観で解説

序論を読み終えた後は、いよいよ本編へ。

副題が古代黎明編となっているように逆説の日本史1巻では古代を中心に話が進んでいきます。日本の歴史というと縄文時代弥生時代の日本人の生活から卑弥呼の時代へと続いていくのが一般的な感覚です。学校の授業でも、この流れで教わりますよね。

でも、戦前は日本神話の教育も行われており、逆説の日本史でも、日本神話にかなりのページ数を割いています。特に興味深いのが大国主命オオクニヌシノミコト)編です。

神話の世界では、オオクニヌシは、アマテラスに国を譲ったとされています。神話だから事実ではないと考えてしまいますが、井沢さんはそうは考えていません。フィクションの部分はあるでしょうが、何らかの事実をもとに神話が作られたはずだと主張します。

オオクニヌシはアマテラスに国を譲った後、出雲大社に祀られました。

ここで神社の参拝作法についてちょっと解説しておきます。神社にお参りするときは、二拝二拍手一拝、すなわち、2回お辞儀をした後に柏手を2回パンパンと鳴らし、最後にもう1回お辞儀をします。これが一般的な参拝の作法です。

でも、出雲大社は、二拝四拍手一拝となっています。

なぜ、出雲大社だけ四拍手なのか?ここに先ほどの怨霊信仰が関わってきます。日本で怨霊信仰が盛んになったのは平安時代とされていますが、井沢さんはそうは考えてはいません。もっと昔から怨霊信仰があったはずだと主張します。それは、先ほども述べたように史料に記述がなければ、そのような事実はなかったとする歴史学への挑戦とも言えます。

また、日本人は昔から言霊(ことだま)を重視してきたことにも触れています。この言霊という言葉も井沢ワールドを理解する上で重要な言葉です。四拍手は「しはくしゅ」と読むわけですが、「し」は「死」と音が同じですよね。この「し」という発音が、出雲大社の参拝作法では極めて重要なのだと解説しています。

オオクニヌシには、どうしても死んでもらわないと困る。

だから、四拍手、つまり、「死」を強調したのだと井沢さんは考えているんですね。オオクニヌシに「死」という言葉を伝えること、これこそが怨霊信仰が、この時代から存在していたことの証だと井沢さんは主張しています。

他にも、卑弥呼は暗殺された、その卑弥呼は宇佐八幡に比売大神(ひめのおおかみ)として祀られているなど、従来の日本の歴史の通説とは異なる見解を披露していきますが、その内容はどれも読んでいて、説得力のあるものとなっています。

逆説の日本史1巻を読み終えた時、すでに僕は井沢史観のトリコとなっていました。

 

逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

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