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ウェブ1丁目図書館

読書で得ること感じること。ここはウェブ1丁目にある小さな図書館です。本の魅力をブログ形式でお伝えしています。

環境に適応できた者だけが生き残るのではない。平凡でも生存できることを分子進化の中立説が教えてくれている。

今よりも優れたものを生み出す、あるいは優れた状態になることを進化と言います。

生物が生存に有利なように体を変化させることも進化ですし、以前よりも住みやすい社会になることも進化です。電化製品が改良されて使い勝手が良くなったり、低価格になることも進化と言えるでしょう。

そして、進化した生物が出現すると進化できなかった生物が滅び、進化できなかった製品は新型製品に取って代わられるというのが、現代では当たり前の認識となっています。ところが、進化は必ずしも生存に有利な場合にだけ起こるものではありません。大した変化はなくとも、生き残ることだってあるのです。

突然変異が集団に広まるのが進化

生物の進化は、個体の突然変異がきっかけになって起こると考えられています。

ある時、眼が3つある犬が生まれたとします。この段階では、眼が2つの犬の集団の中に眼が3つある変わった犬が1頭いるだけでしかありません。しかし、眼が3つあることが犬の生存にとって有利であれば、3つ眼の犬が産んだ3つ眼の仔犬が集団の中に増え始め、やがてすべての犬が3つ眼になります。

このように個体の変化が集団に広まることが、種の進化とされています。

しかし、このような突然変異が種全体に広まり固定する進化は稀です。分子進化学を専門とする宮田隆さんは、著書の「分子かたみた生物進化」の中で、「多くの場合、突然変異は個体の生存にとって有害なので、その変異をもった個体は、子供を残す年齢に達する前に死ぬ」と述べています。

ところが、運よく突然変異が種全体に広まり、集団に固定することもあります。現在、生存している生物は、突然変異で幸運を勝ち取った者たちだと言えそうです。

環境適応できた者が生き残る自然選択説

生物進化については、ダーウィンが提唱した自然選択説が有名です。

ある集団に突然変異が生じた時、その突然変異した個体が生存に有利であれば生き残り、やがて種全体が突然変異に置き換わると考えるのが自然選択説です。つまり、突然変異で環境により適応しやすくなった個体が集団を構成するようになるということです。

自然選択説は、集団の中で生存競争が行われていることを前提にしているのでしょう。限りある食べ物を他の個体よりも早く手に入れる、木や草などに紛れ込んで外敵から身を守るのに有利な色をした体、そういった個体が生存に有利です。そして、生存に不利な姿形をした個体から先に淘汰されていくと考えられます。

分子生物学の発展で登場した中立説

ダーウィンの時代ではできなかった遺伝子やタンパク質の分子レベルでの研究が進むと、生物進化にも新たな考え方が出てくるようになりました。

1968年に木村資生博士が「分子進化の中立説」を唱えたのです。

分子進化の中立説は、分子の進化に寄与する大部分の変異は、自然選択に有利でも不利でもなく、偶然に集団に広まるとする考え方です。

自然選択説と中立説との違いは、突然変異が集団に固定していくときのメカニズムである。自然選択説では、生存に少しでも有利な、子供を多く残せる変異が選択され、集団に広まっていくと考える。一方、中立説では、生存にとって不利な変異は、自然選択によって集団から除去されるという点では、ダーウィン自然選択説と同じだが、それ以外の変異は、すなわち分子の進化に寄与する変異は、偶然に集団に固定する、と考える。つまり、前者は生きる上で少しでも有利な特性をもった変異を選抜しているのに対し、後者はどの変異も優劣はなく平等に選抜されるチャンスがあるわけである。
(62ページ)

木村博士が、分子進化の中立説を発表した時は多くの批判を受けたようですが、現在では、中立説と自然選択説には折り合いがついています。有害な変異は集団から除去されますが、DNAに蓄積した大部分の変異は生存に有利とも不利とも言えない中立的なもので、それは偶然に集団に広まります。しかし、目で見てそれとわかる形態レベルでの進化は有利な変異に自然選択がはたらいた結果起こったと考えられます。

もしも、分子生物学の発展がなければ弱肉強食が自然の摂理だと、いつまでも思い込まれていたかもしれません。平凡であっても、その平凡さが集団全体に広まることもあり、むしろ、こちらの方が多いのです。

偉大なスポーツ選手、偉大な政治家、偉大な経営者。

そういった偉大な功績を残す人が出てきても、その後に偉大な功績を残せない人ばかりが続くのは、社会全体にも中立説のメカニズムが働いているからなのかもしれませんね。

科学は回り道する

「分子からみた生物進化」を読んでいて、興味深い文章があったので紹介します。

昔、豚を食べていた。豚小屋がたびたび焼け、そのたびに焼け死んだ豚を捨てていた。こうしたことが何百年と続いた。ある時、焼け死んだ豚を食べた人がいた。焼け死んだ豚は意外なことに美味しかった。それ以降、豚を食べるときは、豚小屋を焼き、焼け死んだ豚を食べる習慣ができた。その習慣が何百年も続いた。ある時、ある人が、豚だけ焼いて食べればよい、といった。それ以降、今の習慣ができあがった。
(157ページ)

焼け死んだ豚を食べたら美味しかったというのは偶然の発見です。それに気づいた発見者が偉大だったのかもしれません。

その後に豚を食べるのに豚小屋ごと焼いていたのは笑い話としか言えません。しかし、科学とはそういうもので、合理的な発見まで回り道をしながら真理に到達するのだと宮田さんは述べています。

携帯電話の進化も同じ感じですね。画面を見やすくするために大きくすれば、ボタンを小さくし間隔も狭くする必要があるので操作性が悪くなります。そこで、2つに折りたためる携帯電話を開発して、従来のボタンの大きさや間隔を維持したまま画面を大きく見やすくしました。

しかし、携帯電話が普及したころには、すでに駅の券売機などでタッチパネルが導入されていましたから、携帯電話にボタンを付けず画面にタッチして操作する技術はありました。つまり、2つ折りの携帯電話を開発せずスマートフォンを作れば良かったのですが、そのことに気づいていた人が当時は少なかったのでしょう。

合理性の追究は意外と難しいのです。