ウェブ1丁目図書館

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フィールドワークは人間の想像力を超える

子供の頃は昆虫が大好きで、夏休みになると虫取り網を持って1日中昆虫採集をしていた人もいることでしょう。

あれだけ大好きだった昆虫も、大人になると興味が無くなり、逆に毛嫌いし始める人も多いと思います。昆虫博士は、きっと大人になっても昆虫好きの人がなるのでしょうね。

しかし、昆虫博士が、常に自分の好きな昆虫を飼育して日々を送っているわけではありません。時には、害虫と呼ばれる昆虫を駆除するために様々な研究をし、大好きだった昆虫と敵対関係になることもあります。

アフリカからバッタによる飢饉をなくす

前野ウルド浩太郎さんも、子供の頃から昆虫が大好きだった昆虫博士の一人です。少年時代にファーブル昆虫記を読んで、昆虫が好きになったそうです。

その前野さんが、アフリカのモーリタニアへバッタを倒すための研究をしに行ったことが、著書の「バッタを倒しにアフリカへ」に記されています。日本でも、イナゴの大発生が農業に打撃を与えたことがあります。人間が農業を営む限り、バッタとの食物争奪戦は絶えることがないのかもしれません。

アフリカでの深刻な飢饉を引き起こすバッタは、重大な国際問題。すでに数多くの研究が行われているのかと思いきや、過去40年間に修業を積んだバッタ研究者が、アフリカに腰を据えて研究していないとのこと。この事実を知った前野さんは、貧乏ポスト・ドクターの身でありながら単身アフリカへ旅立ったのでした。

フィールドワークの大切さ

モーリタニアで、前野さんはサバクトビバッタ研究所のババ所長と出会います。この出会いが、前野さんのアフリカでの研究生活に大きな影響を与えました。

ババ所長は最近のバッタ研究にため息をついています。その理由はこうです。

「ほとんどの研究者はアフリカに来たがらないのにコータローはよく先進国から来たな。毎月たくさんのバッタの論文が発表されてそのリストが送られてくるが、タイトルを見ただけで私はうんざりしてしまう。バッタの筋肉を動かす神経がどうのこうのとか、そんな研究を続けてバッタ問題を解決できるわけがない。誰もバッタ問題を解決しようなんて初めから思ってなんかいやしない。現場と実験室との間には大きな溝があり、求められていることと実際にやられていることには大きな食い違いがある」
(81ページ)

研究者は、バッタについて研究をしているものの、それはバッタを研究材料に使っているだけで防除に直結するものではないとのこと。このババ所長の言葉を聞いた前野さんは、フィールドワークこそが重要だと述べます。バッタ被害の現場を知らずしてバッタの研究をしても、バッタによる飢饉をなくすことはできません。

フィールドワークを無視した研究はどの分野でも行われているのでしょう。研究室の中で自然界では起こりえない環境を作り出した、実生活に何の役にも立たない研究はいくつもあります。例えば、焦げた肉を食べるとガンになるという研究。何トンもの焦げた部位を食べないとガンにならないのですから、無駄な研究としか言えません。

自然は人間の想像を上回る

モーリタニアで研究を始めた前野さんでしたが、肝心のバッタがなかなか大量発生しません。自然は、人間の都合通りに動いてくれないのです。

ある日、前野さんはゴミダマという虫を研究するためにその飼育を始めます。しかし、ゴミダマが、ある時、忽然と姿を消しました。逃走したのかと思ったのですが、そうではありませんでした。実は、ハリネズミがゴミダマを食べていたのです。そう、ゴミダマにとってハリネズミは天敵だということを前野さんは知らなかったのです。

この話をババ所長にしたところ、あるクイズを出されました。電線に小鳥が5羽止まっている状況で、銃に弾が3発入っている場合、何羽仕留められるかという問題です。

前野さんは3羽と答えましたが、間違いでした。

「ノン!正解は1羽です。他の鳥は一発目の銃声を聞いたら逃げるだろ?いいかコータロー、覚えておけ、これが自然だ。自然は単なる数学じゃ説明できないのだよ。自分で体験しなければ、自然を理解することは到底不可能だ。自然を知ることは研究者にとって強みになるから、これからも野外調査をがんばってくれ。ガッハッハ」
(188ページ)

コホート分析ばかりしてる研究者も、ババ所長の言葉に耳を傾けて欲しいですね。納豆の消費量が多い地域ほど健康な人が多いとか、素人でもできる分析をしても無意味でしょう。フィールドワークをこなしてこそプロフェッショナルなのです。

文化の違い

国が変われば文化が変わるもの。

これも口で言うのは簡単ですが、外国に行かないとなかなか実感できません。日本国内でも北の方と南の方では生活習慣が変わりますが、実際に行ってみないと気付かないものです。

前野さんは、バッタを集めるために子供たちにバッタ1匹捕まえてくるごとに100ウギア(35円)をあげると言いました。モーリタニアの少年にとって100ウギアは日本の300円ほどの価値があります。

最初はバッタをとってきた子供に100ウギア札を手渡していたのですが、次から次に子供たちがバッタを持ってくるので、100ウギア札がなくなってしまいました。こうなると、子供たちが暴動を起こします。また、バッタの数を水増しして申告する子供が現れたり、強い子が弱い子からバッタを召し上げる弱肉強食の奪い合いが始まったりしました。

中には、バッタを強く握りしめて持ってくる子供もおり、生きたバッタを捕獲したかった前野さんは難儀します。

国が変われば文化も変わります。そして、子供たちの行動も。


そうかと思えば、日本で行われている慣習がモーリタニアでも通じることがあります。

ある時、待ちに待ったバッタの大発生が起こりました。しかし、モーリタニアの人々にとってバッタの大発生は喜ばしくないことです。そのため、バッタ発生の情報がもたらされると、すぐに調査部隊が防除を始めます。だから、前野さんが現地に到着した時には、バッタの屍が累々と築かれている状況です。

これでは、バッタ研究ができないと思った前野さんは、調査部隊からバッタの大発生が起こったら、まず自分に連絡をして欲しいとお願いします。しかし、タダでそんな手間のかかることをしてくれないだろうと考えた前野さんは、モーリタニアの人々の好物であるヤギを彼らにプレゼントすることにしました。それも、市場で売られているヤギの肉ではなく、生きたヤギ1頭を贈ったのです。

前野さんのプレゼントに気を良くした調査部隊の人たちは、防除のために連絡を入れることを約束し、他にもさまざまなことを教えてくれました。

裏金ならぬ裏ヤギが効果を発揮したのです。裏金文化は万国共通なのかもしれませんね。


ポスト・ドクターの前野さんが、研究に必要な資金を調達するのも一苦労でした。それも、前野さんは無収入を武器にして資金調達を行っていきます。本書を読んでいると、研究資金をいかにして獲得するかも、研究者が身に着けなければならない技術だとわかります。しかし、誰もが上手に研究資金を集めることは難しいと思います。

前野さんの体験を知ると、価値ある研究をするためには、現場を知ることが大切だとよくわかります。

泥臭いフィールドワークをこなす人々がいるからこそ、世の中が発展していくのでしょう。