ウェブ1丁目図書館

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縄文人と弥生人は同じ日本人なのか?

日本人とはいったい何者なのでしょうか?

日本列島に住んでいるのが日本人。そういうことになるのでしょうか。江戸時代の日本人も日本人ですし、その前の安土桃山時代の日本人も日本人です。室町時代鎌倉時代平安時代奈良時代とさかのぼっていっても日本人は日本人です。

人類はアフリカで発生し、その後世界中に拡散していきました。日本人もさかのぼればアフリカ人になるはずです。

では、初めて日本列島にやってきた人類が、そのまま日本列島に居ついて現代まで来ているのでしょうか?つまり、過去に種族の入れ替えが起こったことはないのでしょうか?

港川人は縄文人か?

日本は、過去に外国に侵略されたことがないので、はるか昔から同じ種族の血が脈々と受け継がれているように思ってしまいます。もちろんハーフやクォーターの方もいらっしゃるので、単一民族国家とは言い切れません。アイヌの血を受け継いでいる方もいらっしゃいますから多民族国家と言えなくもありません。

1960年代から70年代にかけて沖縄県本島南部、具志頭村(現在の八重瀬町)港川採石場石灰岩の割れ目から化石人骨が見つかりました。この化石人骨は、発見された場所にちなみ港川人と呼ばれています。

港川人の化石人骨は、4万年前から3万6千年前のものと推定されています。

当初は港川人が縄文人と共通していると考えられていましたが、理学博士の溝口優司さんの著書「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」によれば、その後の研究で港川人が縄文人と似ていない部分が多くあることがわかりました。

最近、港川Ⅰ号の下顎骨が実際以上に幅広く復元されていたことが判明し、コンピュータ上で修正するという試みがなされました。その結果できた画像は、以前のものとは受ける印象がまったく違う、という驚くべきものでした。
従来の顔は、まるで獅子顔のように下顎の大きい、非常にごつい印象であったのが、下顎のほっそりとした、スマートな印象になったのです。つまり、縄文人に似た幅広の顔が、縄文人とは似ていない顔になったのです。
(133~134ページ)

ただ、現在でも、港川人が縄文人の祖先なのかどうかは議論があり、結論が出ていません。

縄文人はスンダランドからやってきた?

では、縄文人が港川人とは異なるとした場合、彼らは一体どこから日本列島にやってきたのでしょうか?

溝口さんは、現在のタイランド湾から南シナ海の間にあったとされるスンダランドにいた人々が縄文人の祖先ではないかと考えています。その理由として、オーストラリア南東部、メルボルン近郊のキーロから見つかった化石人骨が縄文後・晩期集団に最も近く、典型性確率でいうと縄文人と86パーセント一致することを挙げています。

オーストラリア先住民のアボリジニなどの祖先もスンダランドの人々と考えられていますから、縄文人の祖先もスンダランドの人々だった可能性が高いと言えるでしょう。

スンダランドの人々は、やがて南と北に向かって拡散していき、4万~3万年前頃までには、南に位置するオーストラリアと北に位置する日本列島とに、それぞれ彼らの子孫がたどり着いたのです。そのため、縄文時代の頃には、遠く離れたオーストラリアと日本に、姿形のよく似た人々が住んでいたのではないでしょうか。つまり、縄文人はスンダランドから、おそらく大陸を海岸沿いに北上・東進し、ついには西日本に到達しただろうと、想像します。
(147~148ページ)

そうすると多くの現代日本人が、スンダランドに住んでいた人々を祖先とし、その血を受け継いでいることになりそうです。先にも述べましたが、日本は過去に他国から侵略されていませんからね。

弥生時代に日本人の身長が伸びた

縄文時代の次の時代は弥生時代です。縄文時代にも日本国内で農耕は行われていましたが、弥生時代はさらに農耕が発達した時代でした。

そして、日本人の平均身長は縄文時代が男性158センチ、女性148センチだったのに対して、弥生時代には男性163センチ、女性151センチと高くなりました。以前は縄文時代から弥生時代に入って農耕が開始され栄養状態が改善したことが日本人の身長が伸びた理由とされていました。

しかし、先史時代のアメリカ先住民では、狩猟・採集生活からトウモロコシ栽培を取り入れた定住生活への移行により身長が低くなっていることがわかったため、農耕を開始すると身長が低くなると考えられるようになります。農耕は重労働なので骨に負荷がかかることがその理由とのことです。また、狩猟・採集時代の方が栄養価の高い動物性食品を食べていたわけですから、農耕で栄養状態が悪化したことも身長が低くなった原因と考えれそうです。


では、弥生人はなぜ縄文人よりも背が高いのでしょうか?

溝口さんによれば、縄文人弥生人では体の特徴が異なっているので、両者は別の集団だったと考えられます。弥生人縄文人よりも高身長だったのは、「寒冷地適応」したことが一つの理由です。

寒い地域に住んでいると、体温を逃さないようにするため体が大きく発達していきます。また、体表面積が大きくなるほど熱を放出しやすくなりますから、体表面積をできるだけ小さくするために体の凹凸を少なくする必要があります。さらに眼球が凍らないようにするために瞼に脂肪をつけて保護しようとした結果、北アジア人と東アジア人は一重瞼になったのだとか。

弥生人の祖先はスンダランドから東進した後、北上してシベリアで生活して寒冷地適応します。そして、3千年前頃までに中国東北部朝鮮半島に南下した集団の一部が、縄文時代の終わり頃に西日本に渡来しました。

西日本に渡来した弥生人たちは、縄文人と混血しながら広がっていき、かなりの数が弥生人に置き換わっていったと考えられています。したがって、多くの現代日本人の祖先は寒冷地適応した弥生人であり、縄文人の血を引く現代人は少ないのでしょうね。

日本人の低身長化

多くの日本人の祖先が寒冷地適応した高身長の弥生人であったにもかかわらず、明治時代まで日本人の身長は低くなり続けていました。その理由の一つとして考えられるのが、千年以上にわたる肉食禁止の風習です。

明治時代の日本人男性の平均身長は150センチちょっと、女性は140センチちょっとですから、男女とも弥生人よりも10センチほど身長が低かったことになります。それが、戦後に肉食の習慣が定着したことで、21世紀の日本人男性の平均身長は170センチを超え、女性も160センチ弱まで身長が伸びました。

現在、多くの日本人アスリートが海外で活躍するようになっています。体格が大きくなったことで、欧米人たちにパワーで負けなくなっていること、身体能力が以前の日本人アスリートよりも発達していることが、その理由ではないでしょうか。

千年以上眠り続けてきた弥生人の潜在能力が、肉食の習慣を取り戻したことで目覚めたのかもしれませんね。