ウェブ1丁目図書館

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現代の科学は権威の鵜呑みと経済活動で成り立っている

現代人は、とかく「科学的」という言葉を使います。僕も、ついつい使ってしまいます。ところで、科学的っていったいどういうことなのでしょうか?

おそらく、多くの人は「1+1=2」というような絶対的な態度という意味で科学的という言葉を使っていると思います。でも、科学というのは、実は絶対的なものではないんですよね。特に現代人が使う「科学的」という言葉は、単なる思い込みである可能性が高いと思います。

竹内薫さんの著書「99.9%は仮説」を読んで、科学とはとても不安定で、それを鵜呑みにすることが、なんと危険なことかということがわかりました。

理論はめちゃくちゃでも飛行機は空を飛ぶ

現在、毎日、世界中の空を飛行機が飛んでいます。飛行機が飛ぶ仕組みは、ベルヌーイの定理で説明できます。

ベルヌーイの定理というのは、「空気のスピードが速くなると、その部分の圧力は下がる」という法則です。

飛行機が滑走路を走っていくと、翼にあたった空気が上下に割れます。飛行機の翼は上側が流線形になっていて、下側が直線になっているので、上を流れる空気の方が移動距離が長くなります。

翼の上を流れる空気と下を流れる空気は、翼の後ろで合流するので、移動距離が長い翼の上を流れる空気の方がスピードが速くなります。だから、翼の上の空気の方が圧力が下がるため、飛行機は下から上へ持ち上がるのです。

これが飛行機が飛ぶ仕組みです。

でも、この説明は単なるこじつけで、本当のところは飛行機が飛ぶ仕組みはわかっていません。

なんで翼の上の空気の方が速くなるのか、だれもその本当の理由を説明することができないんですよ。
でも、速くなることだけはわかっているので、ベルヌーイの定理なんてものをもちだして、さもわかったかのように、「圧力うんぬんで飛行機は飛ぶのだ!」などと無理矢理説明しているわけです。
これが科学といえるでしょうか?
表面上は科学的な説明がなされているように見えても、実のところ、一般に知られている「飛行機が飛ぶしくみ」には「科学的根拠」がまったくないのです。(21~22ページ)

「では、なんで飛行機は飛ぶの?」

そういう疑問が浮かんできますよね。でも、そんなことは、どうでもいいと言えばいいことです。飛行機は、あの形をして滑走路を速いスピードで走れば飛ぶのです。それが事実なのです。なぜ飛ぶのかわからなくても事実ということは理解できますよね。

しかし、この事実を無視して、理論に走る人がとても多いのが現代社会です。そして、事実よりも理論が重視される結果、おかしな健康法とか治療法が蔓延しているのではないでしょうか?

権威を鵜呑みにするのは危険

僕は、現代人にとっての科学とは、科学の研究をしている人が発した言葉を鵜呑みにすることだと思います。

ある科学者が統計データを示して、それについての解説をすることってよくありますよね。テレビ番組でも、そういったことがよく放送されています。そして、その科学者の話がもっともらしいので、多くの人はそれを事実なんだと思い込みます。

でも、よくよく考えてみると、その科学者は、あるデータを示して自分の考えを述べているだけですよね。視聴者が自分自身で、見たり経験したりしたわけではありません。しかし、権威ある科学者がそのように言ってるのだから、それが正しいと思い込んで、多くの人が生活をしています。

最もわかりやすい例は、有名な医者が野菜は健康に良いと言ったら、それを信じて毎日野菜を食べるという行為です。野菜が健康に良いかどうかを多くの人が確かめず、有名な医者が言ってるという理由だけで食べているのですから、完全に権威者の言葉を鵜呑みにしているわけです。

そして、権威者の言葉を鵜呑みにしていると、それが間違っていると誰かが言い出しても信用しなくなります。

ガリレオは、倍率33倍の望遠鏡を自作し天体観測を行いました。その望遠鏡を覗き込んで、遠くの建物や森を見ると、とても大きく見えました。17世紀の話なので、当時の人は、驚いたことでしょう。そして、望遠鏡を通して景色を見れば、遠くのものが近くに見えるということが事実だとわかったはずです。

だから、ガリレオは、望遠鏡を使って天体を見れば、星がどのような形をしているのか確認できると思います。そして、望遠鏡を通して夜空を見上げ、月にクレーターがあるのを発見しました。

ガリレオは、この事実を教授たちに伝え、実際に望遠鏡を使って天体を見てもらい、月などの星がどのような姿をしているのか確認してもらいました。すると、返ってきた答えは、「こんなのはデタラメだ!」という言葉でした。

きっと、ガリレオは目が点になったことでしょう。だって、教授たちは、望遠鏡を使えば、遠くの建物や森が大きく近くに見えるという事実を確認しているのに、星が大きく近く、そして、形がはっきりと見えている事実をデタラメだと言うのですから。

そして、教授たちは、望遠鏡は地上を見るのには問題ないが、見上げて使うとうまく働かないという結論を出したのです。

当時、天上界というのは完全な法則に支配された完璧な世界だと思われていました。つまり、神が棲む世界です。そこでは、すべてのものが規則的に動き、美しく、統一ある姿をしています。
ですから、月に凸凹(クレーター)などあるはずがないんです。凸凹というのは不完全ということですから、星の表面は、キレイにのっぺらぼうじゃないといけなかったわけです。(41ページ)

17世紀の話なので、宗教の支配が強かったことは想像できますが、それにしても、教授たちは事実を受け入れようとしなさすぎだと思いますよね。

ここで重要なのは、教授たちは過去の常識を疑おうとしなかったということです。しかも、事実を目の当たりにしているのにです。なぜこんなことが起こるのでしょうか?それは、一言で言えば、教授たちの思い込みということになるのでしょう。でも、僕は、それ以外に、一旦常識として受け入れられたことは、それが間違っているという事実を突きつけられても、修正することを拒もうとする心理が働いているからだと思うんですよね。

簡単にいうと、権威の鵜呑みです。

中立の立場で物事を考えられるか?

権威者が言ったことは絶対に正しいと信じている限りは、どんなに目の前に事実を突きつけられても、それを信じようとはしないでしょう。これは、昔の人に限ったことではなく現代人にも当てはまります。

そして、最も厄介なのは、権威者の言っていることが経済活動と深くかかわっている場合です。

最もわかりやすいのが医療です。ある権威者が、ガンに効く薬を開発したとしましょう。そして、その薬を投与すれば、今までの治療法よりもガンが治る確率が髙かったとします。そうすると、製薬会社はその薬を大量に造り病院などへ売り込みます。そして、ガンと言えばこの薬を使うしかないという常識が、やがて医療業界で広まります。

ガン治療の特効薬だという常識が完全に広まったところで、無名な医者が、実はネギをたくさん食べればガンが治るといういことを発見したとしましょう。言っときますが、これは架空の話ですよ。

しかも、ネギを食べた方がガンの治癒力が高く、さらに副作用もないということも分かったとします。普通に考えると、医者はガン治療にネギを使うと思うはずです。しかし、現実にはそうならないんですよね。

だって、ネギを食べればガンが治るなんてことが広まれば、ガンの専門医は、以降、ガン治療の権威ではなくなりますからね。ネギ食べればガンが治るんなら、素人でも治療できます。製薬会社もガン治療薬の売上が一気にゼロになってしまいます。

そうすると、医者も製薬会社も「ネギなんて食べてもガンは治らない」と言い出します。それどころか、ネギを一定量を超えて長期的に食べ続けると、どんな健康被害をもたらすかわからないと主張し始め、長期的予後についての確固たる証拠はないと言って、新治療を攻撃します。

すなわち、企業や病院の経済活動が中立的な科学的態度を損なわせてしまっているのです。そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、薬害なんて、まさに経済活動が中立的な科学的態度に影響を与えている事例なんですよね。

科学的な態度というのは、「権威」を鵜呑みにすることではなく、さまざまな意見を相対的に比べて判断する”頭の柔らかさ”なのです。(233ページ)

竹内さんは、「99.9%は仮説」の中でこのように述べています。

一方の意見だけにしか耳を傾けないのでは、科学的な態度とは言えません。でも、現代の科学は、経済活動と深く結びついているので、なかなか中立的な立場から、仮説を検証することが難しい状況となっているように思えますね。