1868年の戊辰戦争で、最大の激戦地となったのは会津でした。
会津藩は幕末に藩主の松平容保が京都守護職を勤めており、不逞浪士の取り締まりを行っていました。取り締まりを受けた多くは長州藩士や土佐藩士。
戊辰戦争初戦の鳥羽伏見の戦いで薩摩と長州を中心とした新政府軍が会津藩を中心とする旧幕府軍に勝利します。この勝利で長州藩は朝敵から官軍となり、敗れた会津藩は賊軍に転落しました。
続きを読む1868年に起こった戊辰戦争は、1月の鳥羽伏見の戦いから翌年の五稜郭の戦いまで続きました。
戊辰戦争は、初戦の鳥羽伏見の戦いで薩長を中心とした新政府軍が旧幕府軍に勝利したことが大きく、その後の戦いも新政府軍の優位は変わらずに函館五稜郭で旧幕府軍が降伏し終わりを迎えます。
戊辰戦争の最中、会津藩を中心に東北諸藩が薩長とは別の政府を作ることを考え出します。そして、この時に東北諸藩が協力し合うことを約束したのが奥羽越列藩同盟です。東北諸藩が団結すると大きな勢力となったため、薩長中心の新政府に十分対抗できる要素を持っていました。しかし、両者の戦いは薩長に軍配が上がり、明治以降の東北諸藩は「白河以北一山百分」と嘲られることになります。
続きを読む生物は遺伝子を持っています。そして、生物にとっての遺伝物質はDNAです。
DNAは、体を作るための設計図のようなもの。もしも、設計図に間違いがあれば、生物は本来の姿形とは異なってしまいます。設計図の間違いにより病気になることもありますし、場合によっては死に至ることもあります。
しかし、DNAの複製は必ずしも正確ではなく、10万分の1の確率でエラーが発生するとされています。ヒトの細胞だと、分裂のたびに約6万の変異が起こるとされていますから、生まれてから年老いて死ぬまでにとてつもなく多くの変異を経験するはずです。
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