ウェブ1丁目図書館

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会津戦争に見る正義

1868年の戊辰戦争で、最大の激戦地となったのは会津でした。

会津藩は幕末に藩主の松平容保京都守護職を勤めており、不逞浪士の取り締まりを行っていました。取り締まりを受けた多くは長州藩士や土佐藩士。

戊辰戦争初戦の鳥羽伏見の戦いで薩摩と長州を中心とした新政府軍が会津藩を中心とする旧幕府軍に勝利します。この勝利で長州藩は朝敵から官軍となり、敗れた会津藩は賊軍に転落しました。

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非特異的生体防御と特異的生体防御で病原体から身を守る

我々人間は、常に外界からの侵入者の脅威にさらされています。その侵入者とは、細菌やウィルスといった病原体です。

これら病原体は、空気中を浮遊していたり、土の表面にいたり、水の中に生息していたりと、人間も含め多くの動物や植物の命を奪おうとしています。彼らにそのような意思はなかったとしても、体内に入って来られると不都合が生じます。

しかし、脊椎動物には、病原体から身を守るシステムが備わっていますから、そう簡単に感染症にかかることはありません。人間も含めた脊椎動物は、非特異的生体防御と特異的生体防御という2つの生体防御システムによって病原体から身を守っています。

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奥羽越列藩同盟の瓦解は仙台藩の失策が大きかった

1868年に起こった戊辰戦争は、1月の鳥羽伏見の戦いから翌年の五稜郭の戦いまで続きました。

戊辰戦争は、初戦の鳥羽伏見の戦い薩長を中心とした新政府軍が旧幕府軍に勝利したことが大きく、その後の戦いも新政府軍の優位は変わらずに函館五稜郭旧幕府軍が降伏し終わりを迎えます。

戊辰戦争の最中、会津藩を中心に東北諸藩が薩長とは別の政府を作ることを考え出します。そして、この時に東北諸藩が協力し合うことを約束したのが奥羽越列藩同盟です。東北諸藩が団結すると大きな勢力となったため、薩長中心の新政府に十分対抗できる要素を持っていました。しかし、両者の戦いは薩長に軍配が上がり、明治以降の東北諸藩は「白河以北一山百分」と嘲られることになります。

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DNA修復機構と突然変異

生物は遺伝子を持っています。そして、生物にとっての遺伝物質はDNAです。

DNAは、体を作るための設計図のようなもの。もしも、設計図に間違いがあれば、生物は本来の姿形とは異なってしまいます。設計図の間違いにより病気になることもありますし、場合によっては死に至ることもあります。

しかし、DNAの複製は必ずしも正確ではなく、10万分の1の確率でエラーが発生するとされています。ヒトの細胞だと、分裂のたびに約6万の変異が起こるとされていますから、生まれてから年老いて死ぬまでにとてつもなく多くの変異を経験するはずです。

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織田家から政権を奪い取った豊臣秀吉の謀略

天下分け目の天王山。

プロ野球もシーズン終盤の首位攻防戦になると、中継でアナウンサーがよく口にします。ここを勝てば優勝がほぼ決まるといった大事な試合を「天王山」と表現することがありますね。

天下分け目の天王山とは、1582年に豊臣秀吉明智光秀が京都の天王山で戦い、勝利した豊臣秀吉が天下を統一したことから使われるようになった言葉です。この言葉から、豊臣秀吉は天王山の戦いに勝ってすぐに天下をほぼ手にしたと思っている人が多いですが、そのようなことはありません。なぜなら、天王山の戦いを勝った後の秀吉は、まだ織田家の家臣に過ぎず、織田家の後継者候補が3人もいたからです。

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